明治日本の産業革命と長崎の近代化遺産
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(非公開)たて けずり ばん三菱長崎造船所【所在地】長崎市飽の浦町1-1【予約TEL】 095-828-4134(三菱重工業(株)長崎造船所史料館)【施設維持管理費】 大人(高校生以上)800円、小・中学生400円  【休館日】 毎月第2土曜日、12/29~1/4、長崎造船所一斉停電日 造船業形成期の三菱合資会社時代の木型場で、1898年に鋳物製品の需要増大に対応して建設された。工場建物は木骨煉瓦造二階建で、鋳型製造のための木型を製作した。1985年、史料館として改装され、日本最古の工作機械(長崎製鉄所建設時の1857年にオランダから輸入した「竪削盤」を展示するなど、長崎造船所の歴史を紹介する展示施設として一般公開されている。三菱の歴史を伝える長崎造船所最古の建造物きゅう き がた ば旧木型場⑤※史料館の見学は、事前予約が必要です(詳しくは左の地図内の案内を参照)。三菱長崎造船所【所在地】 長崎市飽の浦町 造船業形成期の三菱合資会社の時代に、造船所の工場設備電化に伴い、同型としては日本で初めて建設された電動クレーン。英国アップルビー社製。大型船舶用装備品の吊り上げ荷重に耐え、電気モーターで駆動される当時最新のクレーンで、1909年に造船所の機械工場付近の飽の浦岸壁に、タービンやボイラーなど大型機械の船舶への搭載と陸揚げのため建設された。長崎造船所はその前年、国産初の船舶用及び陸用の蒸気タービンを製造している。1961年にクレーンは、設置場所周辺の埋立による工場拡張のため、いったん解体され、水の浦岸壁の現位置に移設された。現在でも機械工場で製造した蒸気タービンや大型船舶用プロペラの船積み用に使用されている。現役で稼働する、日本初の電動クレーンジャイアント・カンチレバークレーン⑥※施設は、長崎造船所内にあるため公開していません。【所在地】 長崎市高島町99-1【入場料】 なし【アクセス】 <高島まで> ・長崎港ターミナルから高島港ターミナルまで、高島行高速船で約35分。 ・伊王島港ターミナルから高島港ターミナルまで、高島行高速船で約12分。  ※高速船の情報については、長崎汽船(株) 095-826-6238   <高島にて> ・高島港ターミナルから徒歩25分。 ・高島港ターミナルバス停乗車、本町バス停下車徒歩1分。 開国に伴い、外国の蒸気船の燃料として高まった石炭需要を受け、1868年、長崎沖の洋上の高島において、佐賀藩がスコットランド出身の貿易商グラバーとともに、海洋炭鉱を開発した。英国人技師モーリスを招き、1869年、日本最初の蒸気機関による竪坑である高島炭坑(北渓井坑)が開坑した。1881年からは三菱が所有し、高島炭坑の石炭技術は、日本の炭鉱の近代化の先駆けとなった。日本の近代石炭産業の原点たか しま たん こう高島炭坑⑦ (北渓井坑跡)ほっけいせいこうあと【所在地】 長崎市高島町端島  【施設見学料】 大人(12才以上)300円、小学生150円【アクセス】 島の上陸には上陸ツアーへの参加が必要です。軍艦島上陸ツアーのコース、運航日程、 料金、予約・問合先は各船会社によって異なります。 端島炭坑は、高島炭坑の技術を引き継ぎ、発展させ、炭坑の島として開発された。明治中期以降に採炭事業が本格的に開始され、1890年からは三菱の所有となり、明治後期の高島炭鉱(高島、端島などの海底炭坑群)の主力坑となった。高品位炭を産出し、国内外の石炭需要を賄い、明治末には八幡製鐵所へも原料炭を供給した。大正以降高層住宅が建設され、最盛期には約5,300人が居住したが、エネルギー政策の転換により1974年に閉山、無人島となった。現在は、坑口等の生産施設跡や数次にわたり拡張された海岸線を示す護岸遺溝が残っている。島内の一部に見学通路及び見学場所の整備が行われ、2009年4月から軍艦島上陸ツアーがスタートした。石炭の繁栄と衰退を物語るかつての海底炭坑、端島は しま たん こう端島炭坑⑧(軍艦島)※左ページをご覧の上、お問い合わせください。

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