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高島では、佐賀藩により19世紀はじめから商品生産として採炭が行われていましたが、慶応4年(1868)4月、グラバー商会との合弁事業として高島炭坑開発の共同経営が開始されました。 北渓井坑跡は、外国資本と外国技術が我が国で初めて導入された炭坑で、現在も竪坑をはじめ周辺に蒸気機関に関連するとみられる遺構が地中に良好に残存している、近代的炭坑技術初期の姿を伝える代表的な遺跡です。 |
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仲山新坑坑口跡 |
昭和10年(1935)に開坑された斜坑です。機材などの運搬用の坑口で、坑員の搬入・搬出および石炭の搬出が行われました。
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南洋井坑 排気坑跡 |
明治4年(1871)に採炭がはじまり、明治25年(1892)の閉坑まで、高島の主力坑として出炭が行われた竪坑です。竪坑を見ることはできませんが、レンガ積みの排気坑跡が現存しています。 |
尾浜坑 坑口跡 |
明治7年(1874)から明治23年(1890)まで操業した斜坑の坑口です。南洋井坑に近付き、危険となったため廃坑となりました。現在は看板のみが残されています。
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二子竪坑跡(立入禁止) |
炭鉱繁栄のシンボルともいえる巨大な櫓を構えていた二子竪坑の跡地です。現在はフェンス越しに、開かれた坑口を見ることができます。周辺には鉱員アパートや油倉庫跡も現存しています。 |
蛎瀬竪坑跡(立入禁止) |
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蛎瀬竪坑跡は明治35年(1902)に開坑され、一時廃坑となりましたが昭和25年(1950)に再開坑されました。蛎瀬竪坑では明治39年(1906)にガス爆発が発生し坑員307名が亡くなりました。現在、この慰霊碑が高嶋神社敷地内に建立されています。 |
その他の高島炭鉱関連スポット |
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